2019-08-02 (Fri)
12:21
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中国、春秋時代の大思想家である孔子は数多いる弟子の中で顔回が大好きでした。なぜかというとできるやつだからです。一を聞いて十を知るタイプです。孔子も「賢なるかな回や」といっています。長く生きていれば孔子を超えたかもしれない逸材でした。惜しいことに早世してしまいました。孔子の嘆きは如何ばかりであったことか。
孔子の弟子に子路(子由ともいいます)という者がいました。
「由汝に之を知ることを教えんか。之を知るを之を知るとなし、知らざるを知らざると為せ。之もって知るなり。」
要するに知ったかぶりをするな、ということですね。こんなことまで教えないといけないとは情けない。
孔子は故郷の魯を追われて弟子たちを引き連れながら9年にわたる放浪の旅に出たことがあります。苦難の旅でした。食料も尽き困窮の中で旅をつづけました。耐えかねた子路はこのように孔子に迫りました。子路が耐えかねたというより弟子たち全員の意見を代弁したのかもしれません。
「先生が君子になれとおっしゃるから私たちも頑張っ先生についてきました。それなのにこのザマです。一体君子でも困窮するのですか。」
孔子が答えて言います。「君子だってもちろん困窮するさ。でも君子はこういう時に取り乱さないものなんだよ。」
君子になれというのは実利のためではありません。そのことは長年孔子に付き従った子路にわからないはずはありません。わかっていてもやるせない怒りと焦りでどうしようもなくなっていたのでしょう。
でもここで深く反省し、孔子の言葉の意味をかみしめるのが子路です。
子路は主君の屋敷が襲撃されたときにわざわざ死地に飛び込んで、戦いの最中ほどけた冠の紐を結びなおそうとして切り殺され壮絶な死を遂げました。君子はいかなる時も居住まいを正すべきだ。それを忠実に守ったのですね。どこか孔子に似ている。損だとわかりきっていることをついやってしまう。
子路は良いやつです。
そういう子路が孔子は大好きでした。死の報を聞いて孔子がひどく嘆き悲しんだことが記されています。
幼稚園の子どもたちと同じように孔子の弟子にもいろいろな人物がいます。我慢強く教えさとしえこひいきはしない。それが後世まで孔子の思想が影響を及ぼした理由の一つでもあります。
この孔子の言行録が「論語」です。論語は「学」からその言葉が始まります。「学んで時に之を習う」
歴史上のどの思想家よりも最も学ぶことに重点を置いた人です。
ところで、大阪府の小中学校の学力は長く低迷しています。幼稚園で大事なことの一つは学びから逃げ出さない子を育てることだと思います。
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↻2019-08-02