2019-12-29 (Sun)
07:37
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「たまる」「当たる」「もらえる」だからほんとうにいるものなんてもうわからない
鷲田清一さん(哲学者、元大阪大学学長)の「折々のことば」(12月29日付朝日新聞朝刊)から、とても心に沁みたので再録します。
否定するわけではありませんが、ポイントはどこかむなしい。そこには「得した」感覚はあっても「恵み」の感覚はありません。このポイントは当たり前に得られたものではないのだ。だから無駄につってはならない。必要だから買う。本当に欲しいから買う。という感覚が薄らいでいきます。商業的にはそれで良いのかもしれませんがこの上なく味気ない。
幸せを表すハッピーと偶然を表すハップンは語源は同じなのだそうです。
人は幸せな状態にあるとそれは自分の能力や努力のおかげだと思いがちですが、同じ能力があって同じ努力をしても報われる人と報われない人がいます。努力を否定はしないにしても偶然の要素はかなり大きい。だから偶然の産物である「幸せ」には感謝しなければならない。偶然は「私」の力ではないからです。
当園は少子化がすさまじい勢いで進行する中で今年も園児募集は比較的堅調でした。偶然に当園が高槻の地にあり、系列のもう一つの園も大阪市北区(乳幼児人口が大阪市の中で異例の増加をしています)にあるからです。
偶然が好ましい状況であればそれをつかみ取る努力をすればよい。ただしこれが偶然なら、偶然の後はとても心配です。根が悲観論者なので心配はつきません。
今の偶然をもたらしてくれた保護者の皆様や先生たちに心から感謝するとともに来年もどうか、どうかよろしくお願いします。
以上をもって今年の締めくくりの言葉とします。
今年一年お世話になりました。良いお年をお迎えください。
あともう一件、今冬はインフルエンザが大流行するのだそうです。冬休み中は外を出歩く機会が増えると思います。うがい手洗いの励行をお願いします。
来年はネズミ年です。インフルエンザにはくれぐれもごチュー意ください。(前頭葉がダジャレを我慢できません。年齢的に。)
↻2020-01-02